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副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む⑯一 インシュリン以前 2 糖尿病についての初期の記載 その1)

[2024.07.17]

(インシュリン物語の続きを読んでいます)

我々が糖尿病と呼んでいる病気に人類が最初に気付いたいきさつについては知るよしもないが、推測はできる。

狩猟によって生活していた種族に代々現れる傾向があったので、土着民族の間には初めは知られていなかったようである。

たとえばエスキモーと北米インディアン(今はネイティブアメリカン)には、ヨーロッパ人種が渡来してから初めて認むべき形で現れている。

原始社会では若い糖尿病患者は、生殖によって遺伝因子を次代に譲り渡す機会を得ないうちに、未成熟な時期に夭折したことであろう。

狩猟にもっぱら依存し、動物の移動を追って移住してゆく狩猟民族は、なまの食物の供給を支配している自然の諸法則に左右されるので肥満にかかることはなかったかもしれないが、

いったん農耕社会になると、食物は豊富で、栄養過多になりがちであったであろう。

こうしたことから、糖尿病は世界のうちでも肥沃な地域、たとえばナイルの三角州や中部地中海沿岸の定着民族に現れたことであろう。

糖尿病の最初の記載とみなされているのは、1862年にエジプトのテーベスの墓でエベルスが発見したパピルスに記されていたものであって、紀元前1500年頃書かれたものと言われている。

医学の父ヒポクラテスの生まれるよりも1000年も前のことである。

このパピルス・エベルスは現代まで伝わっている最も古い完全な医学書であると同時に、またおそらくはどの種の本よりも古いものであろう。

パピルス・エベルスの中の糖尿病に関する記載は次のようである。

「多尿を駆逐する医薬。」そして多数の処方が与えられているが、どれをとっても我々には古風でおかしいし、いずれも無効な処方である。

この本が呪文(まじない)と魔法の混じった伝家の処方役であることは明らかで、ある処方などは、菓子と小麦の種と新鮮な細砂に緑鉛と土と水を加えたものであった。

「水にといて、濾過して、4日間服用せよ。」と指示されている。

我々の世紀までの糖尿病の治療は、まさにこれと同類のなんら効能もないものであったのである。

しかし、キリスト紀元の初め以降、たとえ知識の蓄積はほとんど感じられない程のろかったにせよ、糖尿病の神秘の糸が少しずつ解きほぐされてきたことが医学の記録に散見される。

それは医学の発展史ではあるが、単に1つの病気の物語としてだけではなく、いかに観察と思惟と実験とが重んじられてきて、医学の前進を創造し、人類が多かれ少なかれその無知から脱して遂に自らを救う方法を学びとった魅惑的な物語である。

それからほとんど2000年近くの間、糖尿病の目立った病像のいくつか-渇き・頻尿・体重減少-は医師たちに知られていた。

思うに、西暦300年にこれらの症状を呈した患者の診療にあたる医師の胸中には現代の医師が感じると同じ思いがかけめぐったことであろう。

糖尿病という診断の持つ意味はまさに今昔の感があるが、医学の糸の何千年ものつながりを激しく想わざるを得ない。

(つづく)

参考書:インシュリン物語    G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版

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