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副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉔一 インシュリン発見 1 ふたりの若者)

[2025.03.28]

インシュリン物語を読んでいます、いよいよ立役者の登場です。

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フレデリック・グラント・バンティングは1891年にオンタリオ湖の50マイルばかり北の小さな農村の近くで生まれた。

アリストンの村は彼が少年のときには十字路に沿った小さな村でしかなかった。

バンティングの生家は19世紀の初めアイルランドやスコットランドの移民がたくさん渡ってきた起伏に富んだ土地にあった。

これらの移民は貧困と束縛から逃れようとして独立に対する強い衝動をもち、新しい生活を打ちたてようと熱望していた。

バンティングは内気であったが非常に頭はよかった。

ある日幼なじみが糖尿病に罹ったことが彼に深い衝撃を与えた。

家人に切望されて牧師の道を歩みかけたが、向いていないことに気づいて、医学の道に進ませてくれるよう家族に請願した。

第一次世界大戦により彼の人生にも大きな変化が起こった。

彼の属する医学生グループは海外により多くの軍医を送るために卒業が早められた。

彼の軍歴は後日インシュリン発見に重大な関係を持つようになる外科手術を身につけるチャンスを与えた。

19世紀も終わろうとするとき、やがてインシュリン発見に極めて重要な役割を演じることになり、以後のインシュリンの発展についても糖尿病者の生命についても優れた貢献をすることになるもう一人のカナダ人の人生が始まろうとしていた。

チャールズ・ハーバート・ベストは1899年にメイン洲のニューブルンスウィック洲との境界に近いところに生まれた。

ベスト家の医院は非常に幸福な家庭であった。

幼少時からベストは医学的な話に興味を寄せ、度々父の往診についていって、夏の長い路を馬車を走らせ、あるいは冬の凍てついた野や路を馬そりで横切って遠い農家を訪ねたりした。

父はよく台所のテーブルの上に患者を寝かせて手術し、その間、黄色い髪の少年は頭のところでエーテルを点滴して麻酔係の役をつとめた。

第一次世界大戦のころ、トロントのある大学予科の生徒になって生理学と生化学を専攻することに決まっていたベストはトロント市の歩兵大隊に入るように命ぜられた。

その後1918年春に曹長として海外に派遣されたが終戦までほとんど実戦的な活動に従事しなかった。

カナダに帰るとベストは生理学と生化学の勉強を再開した。

その最終学年に至ってこの注目すべき物語は第二幕に入るわけである。

バンティングは海外従軍より帰国し、戦争中の整形外科医としての相当の経験に加えて、トロント市の小児病院での1年の訓練を加えていた。

彼は整形外科医として開業することに決め、オンタリオ州西部にあるロンドンの町に移った。

彼の開業はこの静かな西部オンタリオの町においてはなかなか発展しなかった。

当時オンタリオの社会では専門医というものは全く歓迎されなかったのである。

そこで彼の余暇を充たすために強い探求心をもつバンティングは日課のようにウエスターン・オンタリオ大学の医学図書館に日参し、読書を始め、次いで生理学と解剖学の実験助手としての仕事を始めた。

今では有名なモーゼス・バロンの論文は1920年10月に外科・産婦人科学雑誌上に発表されたが、これはバンディングにミンコフスキーおよびフォン・メーリンその他の仕事を知らせたのである。

この論文にはもしミンコフスキーおよびフォン・メイリンが実験をもう少し続けていたならば糖尿病を軽快させるような物質を発見し抽出したのではないだろうか、という示唆が述べられていた。

膵臓から抗糖尿病因子を抽出しようとした二、三の初期の研究を知ってはいなかったがバンティングはバロンの考えに興奮した。

彼はロンドンにいる同僚の助言でトロントに赴いた。

そこにはJ・J・R・マクラウドが生理学の教授として糖代謝に関する独自の研究をしていた。

マクラウドの主宰する研究室はきれいな比較的新しい医学部の建物にあり、実験のための動物も飼っていた。

バンティングは彼の向こう見ずな構想を試みるチャンスを与えてくれるようマクラウドに懇願した。

バンティングがこれから取り組もうとしている問題の化学に暗いことを知ってマクラウドは1921年春のある日、若い外科医バンティングを助けて糖尿病に関する実験をやりたい者はいないかと生理学および生化学課程の最高学年のクラスでほのめかした。

生理学に熱烈な関心を抱いていたチャールズ・ベストにとってこれはまさにまたとないチャンスであった。

しかも、彼自身の家族に糖尿病者がでたことで格別の興味を引くテーマである。

この病気が遺伝病であることがわかってみると、彼の叔母アンナがこの病気だから彼の家系に再び誰か発病する者がいないとも限らないと彼は考えた。

これはごく漠然とした動機であったかもしれないがベストに未知の若い外科医を助けるべく志願させた重要な因子であったことは確かである。

彼らが最初に会ったとき、友情の絆は即座に結ばれた。

2人とも内気な個性を持っていたし、田舎の出であったし、またバンティングは医官として、ベストは戦闘連隊の曹長として海外従軍歴を有していた。

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次の項に続きます

参考書:インシュリン物語    G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版

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