副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉕一 インシュリン発見 2 バンティングとベスト、研究を開始)
バンティングとベストは文献の検討にとりかかった。
そして、すぐに過去20年間に試みられた無数の失敗例を知ったのである。
しかし彼らはへこたれず、いかなる困難があろうとも研究をやり遂げようと決心した。
二人はただちに犬の手術にとりかかった。
犬の膵管を結紮して6週間経つと膵は退行変性に陥り、十二指腸に分泌物を出す膵酵素細胞のあるものは破壊され、抽出したいと狙っている物質を産生しているいわゆる「魔法の島」だけが残るであろうというのがその考えであった。
この物質を精製して30年前にミンコフスキーが記載した膵全剔糖尿病犬に与えてみようというわけである。
二人は誰の助けも得られず無給であったが酷暑の中を働き続けた。
トロント大学医学部は大学校内の一隅にあって初期二十世紀風の装飾のついたユーティリタリアン構造のようにみえる。
毎朝彼らはまず2階の研究室に行く。
彼らの占有していたのは小さな部屋で解剖学教室が建てられるはずの裏庭に面していた。
この部屋には夏の日射しがほとんど射し込まないという利点もあった。
バンティングとベストは大学の活動が最小限に縮小された夏の大半をひっそりと部屋に籠もって仕事に没頭した。
毎朝犬の餌を作ってベストは4階の犬小屋に行く。
天窓のついた犬小屋は快い仕事場とはいえなかった。
大きな犬小屋の隣には小さな部屋があり手術台と器具があった。
1921年6月の終わりであったろうか、手術に耐えた犬達を調べる時期がきた。
恐ろしい失望が彼らを待っていた。
どの犬も一匹として予期した膵変性には陥っていなかったのである。
膵管を1回結紮しただけでは膵管が新しくできて、膵液は十二指腸に流れてしまう。
しかしいずれにせよラ氏島とその仮説的内分泌は外分泌による破壊的作用から逃れ得ていないだろうと彼らは考えた。
これに屈せず彼らは再び始めた。
7月の末近くなって糖尿病犬を作り、今度はもっと確実に膵管結紮をして5-6週間後に犬の膵抽出物を作ってみることにした。
これらは彼らの研究の決定的ポイントとなる物質の抽出であり、まさに多くの研究者が失敗を重ねていた点であった。
彼らの実験ノートによると変性膵を除去した時にすぐ冷却した乳鉢に入れて砂をまぜて擂りつぶし、ついでリンゲル液でこれを懸濁液としている。
これらの操作はすべてできる限り清潔に、そしてなるべく低温で操作している。
これはほとんど直感的な行動ではあったが、これが大切な成功への鍵となった。
なぜならば低温にすることにより、膵腺内に残された蛋白消化酵素が抽出物を不活性化するのが防止されたわけである。
彼らはこの物質を糖尿病犬の静脈内に注射した。
時はまさに7月13日であった。
最初の2.3回は劇的な効果は見られなかったが、間もなく彼らが抽出した物質が血糖と尿糖とを低下減少させうる物質であることが明らかになってくる。
この初めての成功に力を得て、二人はピッチを上げた。
8月14日からの何週間かの間、夜を日についで糖尿病犬を作っては劇的な救命効果を得るべく抽出に抽出を重ねた。
この抽出物を余りたくさん注射すると血糖が下がって低血糖に基づく一連の症状が現れることに二人が気付いたのもこの頃であった。
二人はこの時期にこの物質をアイレチンと呼ぶことに決めた。
それまで疑われていたその存在は二人の実験やそれに続く多くの実験によって確証され、膵内分泌の存在とそのホルモンが糖尿病と関係があり、糖尿病に対して有効であることが決定的に証明されたのである。
有史以来、ここに初めて糖尿病患者は回復の機会を得たのである。
30年余り前にフォン・メーリンおよびミンコフスキーによって点火された希望の微光はここに初めて二人の若き研究者の協力によって、小さな焰となった
二人の実験の性格上、彼らは膵ランゲルハンス島からの何かが糖尿病患者では失われていることを決定的に証明したと感じた。
そして一段と飛躍すれば、彼らが糖尿病の経過を元に戻し得るこの有効な要素、不思議なX物質を確保したのだと感じた。
二人はこの物質を後にインシュリンと改名したが、当時アイレチン(Isletine,インシュリンと同じく島を意味する語)としていたのはこのような理由からであった。
インシュリンと改名したのはこれらがラテン語に基づく名称であるために、世界中どこでも綴りや発音に便利であろうというマクラウドの勧めによるものであった。
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版