副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉘一 インシュリン発見 5インシュリンの最初の奇蹟)
1922年1月、レオナルド・トンプスンという少年がインシュリンの奇蹟的効果を経験した最初の患者となった。
レオナルドの糖尿病は1920年、彼が11歳のときに発見された。
飢餓療法にもかかわらず、病勢は悪化する一方で、入院したときには61ポンド(27.6kg)だった。
彼は1日450キロカロリーの食餌療法を命じられていて、これは同年齢の子どもが一回の食事に食べる量である。
すでに恐るべきアセトン臭が呼気ににおっていた。
尿には血液にあるべきこの物質がはっきりと検出されていた。
バンティングとベストは近くのトロント総合病院の友人からこの糖尿病患者レオナルドのことを聞いて知っていた。
クリスマスと新年の間に、新しいインシュリンち抽出液を作る時間が持てそうだった。
二人は成牛の膵を使って抽出すべきか、それともはるかに強力で不純物のないことがわかっている牛胎児から抽出すべきかを議論した。
そして結局、人間の糖尿病の生命を救い、その結果、ただちにこの物質の大量需要が起こるであろうと信じたため、成牛を使うことに決めた。
十分ゆき渡るだけの牛胎児を確保するのは容易ではない、したがって最初は豊富に入手できる成牛を使うべきだと考えたのである。
過去15週間に用いたのと正確に同じテクニックで抽出した液を二人は上膊(上腕)の皮下に注射し合った。(!!!)
少し発赤腫脹したが、二人とも糖尿病ではないので血糖降下は示すべくもなかった。
しかし二人は動物実験からこの液が有効であることを知っていた。
いまや二人は人体への大実験の準備も完了し、抽出液をトロント総合病院のウォルター・キャンベルのところに運んだ。
患者の両親は、トロント市東端の開業医から、レオナルドが糖尿病であるとの診断を受けて以来、この恐ろしい不幸について聞かされていた。
レオナルドの父親は、少年がインシュリン治療を受ける機会を与えられた時の情景を感動すべき言葉で語っている。
彼は医師に言った。
「私はこの物質がどんなものかわかりません。この子どもはすべて自分で決める年頃です。どんなチャンスがあり、どんな危険があるかを子どもに正確に話してやってください。」
小さな部屋の暗い電燈の下で、家族と主治医とは慎重に少年にこの新しい抽出液がこの大学のある学部で作られ、使用できることを説明した。
治療を受けたいかどうかを尋ねられたとき、少年は、その衰えた顔を父親に向けた。
父親はうなずいて少年を力づけた。
少年は言った。
「ええ受けたいと思います。」
この抽出液は有効であり、少年の血糖と尿糖は正常域にまで低下したが、しかし腕の注射部位は赤く腫れ上がってしまった
多分これは少年の抵抗力の低下と未知の因子によるものであろうが、しかし原因が何であれ発赤腫脹がひどく、注射は中止の止むなきに到った。
数日の中に、さらにインシュリンが作られた。
治療効果が一般状態を劇的に改善したので、注射は再開された。
この日からレオナルドは好転の一途をたどりはじめた。
彼は食事もとれ、体重も増して、正常生活をとり戻せたのである。
こうしてインシュリンの効果は確かめられ、研究のテンポは早くなった。
トロント総合病院の他の患者達にも注射が行なわれ、彼らも同じく血糖は低下し尿糖は消えて、消耗しやせ衰えた患者達は、初めて回復の望みを得ることができた。
A・A・フレッチャーとW・K・キャンプベルとは、インシュリンの臨床的使用の研究に力を注いだ。
トロントのもう一つの病院でもバンティングが、彼自身も糖尿病の旧友J・ギルクリストと一緒に臨床実験をおしすすめた。
やがて全世界は、どうすればこの新しいインシュリンを確保でき、どういうふうに糖尿病に使用できるか、ということについての情報を求めて扉を叩きはじめた。
ある発見の臨床的応用にはしばしば長い時間を要する。
しかしインシュリンの場合には糖尿病犬に最初の注射が行なわれてから糖尿病患者に使われるまで僅か20週間しか経っていなかった。
余りにも短い時間であり、多くの難問が山積していた。
すぐ生命を救え!
インシュリンを製造せよ!
研究そしてまた研究!
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版
