副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉞一 インシュリン発見後の新しい治療 その3 )
「インシュリン物語」を読んでいます。
インシュリン発見後の様子を読んでいます。
。。。。。。。。。。。。。。。
コンノート医学研究所の出版した小冊子「人類に使用される生物学的製剤」(R・J・ウイルスン編集)はインスリン発見後の管理から製造について次のように記している。
「公益に沿って行動する努力のなかで、インシュリンの発見者たちは、大学が特許を受けて管理体制を整えるという了解の下に、発見に関連した諸特許を申請せよとの要請を承認した。この目的のために、1923年にはトロント大学理事会の中にインシュリン委員会が設けられた。この委員会は、公衆がインシュリンの十分は恩恵を受けられるよう、その責務を成功裡に果たした。諸国の中には、特許の管理は政府機関ないしその他の責任ある政党により引受けられた。カナダとアメリカについていえば、インシュリン委員会研究所が組織され、インシュリン製剤をすべて配布に先立って検定した。大学から免許を受けた販売者により発行される広告も検閲され、製法の改良法がどの製造会社でも使えるように努力された。こうしてトロント大学のインシュリン委員会研究所はインシュリン製剤の検定に指導的役割を果たしてきた。」
インシュリン委員会の国際的活動はノーン・ハッチンスンにより要約されている。
「インシュリンの奇蹟は1923年までに最盛期に達した。次の二年以内に、トロント大学とそのインシュリン委員会は、世界中にインシュリンに関する完全かつ信ずべき情報を徹底させる業務を十分に果たしたし、インシュリン製造に関心を示した諸国における製造を助成する業務も果たした。ついで1925年には国際連盟の保健機構に加入して、製剤の世界的供給を規制する国際標準品として特別製の乾燥製剤を作り上げた。次の何年かはインシュリン委員会の国際的関心は国際インシュリン標準製剤を再吟味し、維持することとと、「インシュリン」の名前を守ることに主に集中された。不幸にして、不道徳な無資格な製造業者が糖尿病者からのぼう大な需要につけこんで、効果のない製剤にインシュリンや類似の名前をつけようとすることがしばしばあった。これをインシュリン委員会は、商標の法的行為により管理することができたのである。」
インシュリン委員会は世界的規模における管理機構であったばかりでなく、世界の他の場所で作られたインシュリンの公平な監視警告センターの役割も果たした。
標準製剤を維持する仕事の収入は検定に表する費用より多かったので医学研究費に充てられた。
インシュリンを作り加工した国々はアルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・ブラジル・カナダ・チリー・チェコスロバキア・デンマーク・フィンランド・フランス・ドイツ・ハンガリー・日本・オランダ・スエーデン・イギリス・ソ連・アメリカ等であった。
糖尿病と、それを制御するインシュリン需要には、イデオロギーの違いや国境はなかった。
。。。。。。。。。。。。。。。
よかった!
(次回に続きます)
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行
