副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む⑰一 インシュリン以前 2 糖尿病についての初期の記載 その2)
「インシュリン物語」の最初の続きです。
疾患についての表記はほぼ割愛して歴史について追ってみます。
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この病気の初期の記載は、当時の各時代の医学書作家のおかげで今日まで伝えられている。
最初の正確な記載は、キリスト紀元二世紀頃の人らしいアレタエウスに発している。
アレタエウスは中央トルコにあたるカパドチアというユーフラテス河に近い小アジア山岳地帯の生まれで、少なくとも一時期には開業医であったようである。
ちょうど、偉大なもう1人の医師ガレンと同じ頃の人で、ギリシャ後で書かれた彼の著書は後に1552年にヴェニスで近代版としてラテン語で出版された。
それによると1つの章が糖尿病にあてられている。
糖尿病(diabetes)の語源を(糖尿病になると水分が身体にとどまらずに人体を梯子として使ってそれを去っていくので)尿のサイフォン、あるいはその流出の考えと結びつけたのも彼である。
アレタエウスは病床の患者を観察した真の意味の医師であったから、一部奇想天外な部分もあるにせよ、その記載は引用に値する。
『(略)病気の初めには患者は口が渇き、唾液が白く泡立って、(渇きはまだ自覚されていないので)渇きのために季肋部に重圧感があるように感じる。
胃から膀胱にかけての熱感や冷感は、いわは近づきつつある病気の先駆である。
患者は普通よりも幾らか多く水を作り、渇きもあるが、まだ顕著ではない。
しかし、病気が少し増悪してくると、熱感は確かに小さいがぴりぴりして腸の中に感じられてくる。
そして尿の病変と渇きはすでに増強している。(略)』
彼の記述している糖尿病の症状と経過、および患者の外見は驚くべく明確であって、彼が注意深い観察者であることを示している。
病因の考察に当たっては、医師達が後に自分の無知を容認するだけの自信と知識を得るまで多くの観察者がしたのと同じように時代の学説と歩調を合わせながら、事実から空想の世界へと足を踏み入れている。
しかしアレタエウスの話には一つの注目すべき手抜かりがある。
彼は糖尿病患者の尿が甘いことに気付いていない。
医師達が賢明にも尿をなめてみたのは、ずっと後のことである。
これに次いでパラツェルススがその著書に重要な貢献を記すまでには1200年もの長い空白時代がある。
この優れたスイスの医師はアレタエウスの著書を知らなかったのではないかと思われる。
アレタエウスの著書はパラツェルススの没後11年経った1552年にラテン語版が出版されるまでほとんど忘れられていたのである。
パラツェルススの本当の名前はテオフラストス・ボンバストス・フォン・ホーエンハイムといった。
彼が自分でパラツェルススと称したのは西暦25年から35年にかけて書かれたセルススの医学に関する本が多岐にわたる研究を含み、しかも印刷術の発見後はじめて活字になった最初の医学書であったことから、そのセルススにあやかったわけである。
パラツェルススは当時の進歩的な思想家であり、因習を厭う(いとう)ルネサンス派であって、「医学のルッター」と呼ばれている。
当時の学問は不毛であると断じた彼はこれを排除し、もっぱら独学した。
彼を非難する者に向かって彼は言っている。
「仮に自然によって動物は教育されても、人はそうはゆくまい。」
彼はバーゼル大学で当時最も尊重されていた古代医学書を公然と燃やした上で、一連の講義を始めた。
彼が話したのはドイツ語であってラテン語ではなかったが、扱った材料は古代の著作についての無味乾燥な註釈ではなく、彼自身の経験に基づく説話であった。
こうした重なり重なった侮辱に、その地の医学組織は我慢できなかった。
彼は市から追放を余儀なくされ、余生を放浪のうちに終えた。
医学も他の学問と同じように、数少ない古代の本をめぐって際限のない討論に終始していたあの長い暗い眠りから醒めかけていた。
にもかかわらず、一見新しくみえるパラツェルススもまた、彼の没後、弟子の一人が「パラツェルススの辞典」を書いて読者の便宜を図ったほど奇を衒った難解な文章に耽っていた。
『糖尿病は一種の乾いた塩のせいである。それは主な身体の部分の真中に溶けたものと、分離しているものとがある。
この塩は永久に固定し、存続する。
その症状は、慢性の渇き、(多くは頸部に始まる)背中の痛み、両足のむくみ、黄色くてひどく赤い多尿、速い脈、そして大腿つまり腰の痛みである。
治療は鎮痛剤による。塩の分離だけを治すことができる。』
ここで「塩」の代わりに「糖」で置きかえると、どうだろう。(永久に固定するのは最終糖化産物を指しているように思えます)
彼は尿について一つの重要な観察をしている。
『布につけて乾かすと、布は黄色く胆汁のように染まる。』
ずっと後になってもう一人の機敏な医師も、人の靴や衣服に尿糖が乾いてこびりつき、しみになっているのを見れば、ただちに糖尿病と診断している。
しかしパラツェルススは尿をなめてみなかった。
彼が口渇に対して勧めたのはジューレップという甘い酒であった。
腎臓そのものが塩気のために乾いていると彼は信じていた。
(次章につづきます)
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版