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副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む⑲一 インシュリン以前 3 神秘の扉をたたく人びと その2)

[2024.10.17]

「インシュリン物語」巻頭、歴史の続きです。

。。。。。。。。。

ドブスンの次代からさらに100年近く過ぎた。

田舎医者として仕事をはじめたドイツ人アドルフ・クスマウルが次の大きな前進にあずかった。

数年後に彼は開業をやめてヴェルツブルクに移り、当時医学会に広くその名声を知られていた若い病理学者ルドルフ・フィルヒョウの講義に出席した。

クスマウルは我々の世紀(20世紀)になったばかりの1902年に80歳で没した。

彼の生きた次代は医学の最も実り多き時代の一つで、パストゥールが免疫学を創始し、コッホが結核菌を発見し、リスターが外科学に無菌法を導入し、レントゲンがエックス線の存在を証明した時代であった。

クスマウルの名前は1874年のドイツ医学誌に発表された「糖尿病昏睡に伴う特徴的呼吸」に冠せられて、不滅のものとなった。

彼は経験した多数の患者について、いずれもその末期に異常な息切れ、彼の言葉でいえば『空気飢餓』に陥る様子を述べている。

彼はこれを『この大呼吸』と形容して詳細に記述している。

『非常に規則正しく行われ、中断することなく、急に速度が変わることもない、深い昏睡に際しては長い合間が呼気と吸気の間に入る』と書いている。

この大変な苦痛にもかかわらず、患者は弱り切っていて力が無いので、楽になろうとして身体を起こすこともしない。

『呼吸運動の力と全身の弱さとの対照はこの病像の最も顕著な特徴の一つである。』

この苦しい呼吸が脳の呼吸中枢の機械的刺激の産物ではなく、その化学的刺激によるものであることを彼は指摘した。

そして酸素の不足や、その他、赤血球の病変や血中炭酸ガスの増加のような、同じ結果をもたらしうる他の原因によるものではないことを彼は確認した。

『それは糖尿病の身体の化学的異常と密接な関係のある一種の中毒に基因しているに違いないが、この毒物の本態については確かなことはわからない。』と彼は述べている。

クスマウルが記載したものは、未治療の糖尿病を特徴づける一連の化学的異常の晩期症状であった。

基本的には、この病気は体細胞が糖質(炭水化物)を利用できないことにある。

正常人の体内では糖質は炭酸ガスと水に分解され、その際、身体の活動のためのエネルギーを供給する。

ブドー糖は単にその分解の一段階であるが、糖尿病患者ではこの段階で停止が命じられ、体内にブドー糖が蓄積して尿にも出てくるのである。

さて病気が悪化すると、身体は糖質から得られないエネルギーを工面し、平衡を取り戻そうとして、体脂肪を動員する。

そして、脂肪の崩壊があまり速やかに進行しすぎて、体内の化学変化の経路が停滞するほどになる。

アセト醋酸とその類似の脂肪分解物たるケトン体が大量に蓄積して燃焼処理が間に合わなくなってくる。

これらのケトン体もまた尿に出るが、その存在は糖尿病晩期の危険な段階を警告しており、また患者の呼気中に朽ちたリンゴに似た甘い匂いがすることもあり、それも同じく重大な意味をもっている。

腎臓は血中の酸性ケトン体を中和するアンモニアを作っている。

病気が悪化すると、腎臓はケトン体の量に対抗できなくなる。

そこで血液はその貴重なナトリウムを使ってケトン体を中和しようとする。

血中の酸とアルカリとの微妙な平衡は乱され、ますます酸性に傾く。

肺は炭酸ガスの形で多量の炭酸を呼び出して代償しようとする。

ために、ガスをより多くだそうとして胸はふくらみ、呼吸は大きくなる。

近代的な治療がほどこされない限り、患者は精一杯の努力の効もなく血液の微妙な化学的平衡は一方に偏ったままになり、不可逆的なアシドーシス(酸血症)に陥る。

クスマウルも当時の人々の誰も、これらの詳細は知っていなかった。

ただ、そういった症状と徴候が患者の生命にとってどういう意味をもっているかを骨身にしみて知っているにすぎなかった。

(つづきます)

参考書:インシュリン物語    G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版

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