副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む⑳一 インシュリン以前 3 神秘の扉をたたく人びと その3)
世界糖尿病デーはバンティング卿とベスト博士が1921年11月14日にトロント大学医学部のJournal Clubの定期会合でインスリン発見の最初の会見をされた日でありバンティング卿の誕生日である11月14日に因んでいます。
その記念すべき今週、月一回の「インシュリン物語」を読むブログは20回目となります。
前回からの続きです。
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代謝、すなわち生体が食物を分解してエネルギーを作り、食物の成分を新しい組織に再構成する過程に関するクロード・ベルナールの業績は、あらゆる生理学部門に亙っている彼の研究の大きく華やかなモザイクの一片にすぎない。
この彼が一時は医学を逸しそうになったのである。
1832年、19歳の彼はリヨンで薬局の見習いをしていた。
やがて彼は、これに満足できず、薬局をやめて劇作家を志した。
軽喜劇を書いて、リヨンで少し成功を収めたかに見えたので、彼はさらに歴史劇へとふるい立った。
そこで背囊に2編のシナリオの他は何も入れるものもないまま、作家としての名声を求めて1834年にパリーに向かった。
幸い批評家ジラルダンにシナリオを見てもらう機会を得た。
ジラルダンは、余暇に作家生活ができるよう、生計の糧を別の職業に求めるよう教育を受けた方がいいと分別のある忠告をベルナールに与えた。
そこでベルナールは医学校に入り、優等生とは言えなかったが、その器用さは当時生理学教授で高名な実験主義者であったマジェンディーの注目を惹くところとなった。
ベルナールはコレージュ・ド・フランスのマジェンディーの助手になるに及んで、行く手がおのずから定まった。
そして業績と栄誉に輝く実り多き人生を1878年コレージュ・ド・フランスの生理学教授、アカデミー・フランセーズ会員、上院議員として終えることになるのである。
糖質の代謝への関心は、糖尿病者の血液と尿とに糖があることをドブスンが確認したことに発した。
この分野でのベルナールの貢献は蔗糖を動物の静脈内に注射すると尿に速やかに出てくるが、蔗糖を経口的に食べさせた場合には身体に同化される形に変えられるという発見に始まる。
消化管から吸収された糖を同化する臓器を探究する途上で、動物は糖を食べないときでも血液の中に糖を含んでいるという当時としては驚くべき発見をした。
当初の目的であった『同化臓器』を見つける代りに、食事中の糖とは明らかに無関係で体内で糖を産生し血中に放出する臓器を発見したわけである。
巧妙な実験で、これが肝臓であることを彼は明らかにした。
そして肝臓の切りとった小切片にも糖が存在することを証明した。
肝臓から抽出できる糖の量にどんな条件が影響するかを調べていた彼は、測定の正確さを確かめるために同時に別々の2つの肝切片を使用するのが常であった。
ある日、彼は片方の肝切片の糖の量を測定した後で所用で中座した。
翌日、仕事を再開した彼が、同じ動物の残った方の肝切片を測定したところ、糖の量がかなり多いことを見出した。
この全く偶然の発見を追究した彼は、肝臓から抽出される糖の量は動物の死からの時間と共に増すことを知った。
さらにたとえ肝臓が剔出され、その血管に冷水が注入されて洗われて「糖のない状態」になっても、「適度の温度」においておくと新しい糖が形成されることも示した。
こうして、肝臓は生きている動物でも死んだ動物でも糖を作るということが証明された。
この糖の由来を研究してベルナールは『糖は、私が分離し糖原物質と名付けた糊状の物質(今日のグリコーゲン)に作用するところのある酵素のはたらきで、肝臓で作られる』ことを発見したのである。
これらの実験の重要性は高く評価してよいものである。
ベルナールは単に肝臓が糖を貯蔵することを発見しただけでなく、それが貯蔵される形の物質、グリコーゲンを発見したのである。
さらに、持続的生産と貯蔵との間の血糖の動的状態を明らかにしたばかりか、1つの臓器がある物質を作り、それを直接血流中に放出する、いわゆる内分泌現象を示した。
これらの発見はすべて、糖尿病に関する現在の知識にとり入れられている。
マシュー・ドブスンが示したごとく、糖は非糖尿病者の血液中にも、糖尿病者の血液中にもある。
消化管で吸収された糖は肝臓を通り、ここでグリコーゲンとして貯えられ、必要に応じて再び糖に分解され、直後に血中に分泌される。
ベルナール以前には、ある臓器がその生産物を放出するのは、導管の中に放出するいわゆる外分泌によるほかないと考えられていた。
この新しい概念ー内分泌ーは、のちに糖尿病の神秘を解明する血路を拓くことになるのである。
後年ベルナールは、脳のある場所を針で穿刺すると血糖値が上昇し尿糖をみることを報じた。
しかしながら、その後の研究者たちによれば、この糖穿刺効果の少なくとも一部は、グリコーゲンを分解するアドレナリンの動員を介するものであることが示されている。
いずれにせよ、人の糖尿病で血糖が上昇するのはこれとは別の機序によるものである。
皮肉なことには、当時としては実験主義的な好奇心を出なかったこの糖穿刺の発見が、ベルナールの内分泌の存在の確認という輝かしい業績に対してよりも、糖尿病との関連でずっと強い関心の的になったことである。
「糖穿刺」は多くの人によって肝臓に達する分泌神経を過大に刺激した結果であろうと解釈された。
19世紀には、代謝活動の強調に関して2つの大きな学派があった。
1つは神経系が主として関与していると信じる学派、他は体液性因子つまり血液によって運ばれる物質に重要性を帰した学派であった。
F・G・ヤング教授がいみじくも述べたように「主張された見解のための十分な論拠を生むよりも、むしろ単なる論争の種を生む」ような論争が起きた。
(続きます)
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版