副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉒一 インシュリン以前 4 失われた環をもとめて その2)
新年もインシュリン物語の続きを読みます。
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20世紀初頭から1921年の間に何人かの科学研究者が当時盛んになりつつあった糖尿病の化学的研究に勇敢に足を踏み入れた。
各種の抽出物に次第に注意が向けられつつあった。
「化学的伝達物質」に関するベイリスとスターリングの研究は膵臓を含んだいろいろな体組織から分離されるある種の化学物質の役割についての考察を助長した。
さまざまな人が膵臓の抽出物を作ろうと試みたのはまさにこの時期である。
これらの抽出物が糖尿病に対し特定の関係を有するかも知れないと示唆している実験的事実もあった。
ミンコフスキーとフォン・メーリンが膵臓がないと糖尿病が起きることを明示していることから考えて、その公算は極めて大となった。
しかし、こうした方向に多くの強い示唆があり、多くの研究者がシャーピー・シェーファーと同じ意見を持つようになったとはいえ、彼が例の大胆な発言をするほんの何年か前には大変な混乱の渦中にあったのである。
何人かの研究者が内分泌が存在する証拠を得たと主張する一方では、それが存在しないという実験結果を確信する者もあった。
ベルリンの内科医ゲオルク・ルドヴィヒ・ツェルツェルは1908年に内分泌の証明にほとんど成功しそうになった。
彼が好んで用いたらしい方法は膵臓全部を細かく切り刻んで、これを長時間アルカリ性にして放置しておく方法であった。
しかし、アルカリ性状態の効果は膵臓内分泌物質の大部分を破壊したであろうと思われる。
しかしながら、彼は、この処理方法を用いない他のいくつかの方法にも言及している。
彼は膵臓の抽出液を8人の糖尿病患者に用いて、効果があったと報じた。
糖尿とケトン尿、すなわち、尿中の糖とケトン物質の量の減少を見たというのである。
J・フォルシュバッハはこれらの抽出液をミンコフスキーの臨床教室で使用したが、発熱などの毒作用が著しくて使用を断念した。
この毒作用は神秘的な抽出物が多すぎたためではなかったかと示唆されているが、ツェルツェルの特許申請に記されているように、もしアルカリが用いられたとすれば、内分泌の大部分は破壊されたであろう。
これを考えても、ありそうもないことのように思われる。
一方1910年にはドイツの医師エリック・レシュケは否定的な実験成績を報じて、内分泌が存在するという考えに挑戦している。
しかしながら彼は、もし内分泌が存在するとするならば膵臓の酵素すなわち外分泌がこれを破壊することがあり得るという有益な示唆を与えている。
これはまさに真理であって、インシュリンは蛋白であり、外分泌の蛋白消化酵素はそれを破壊し得るのである。
アメリカの生理学者E・L・スコットは1912年に膵管を完全結紮して変性せしめた膵を用いて、この考えを試している。
この方法の背景にある推論は正しく、成功に導くはずのものであった。
もし膵管が結紮されたならば、主要な腺状細胞はもはや機能を営んでその外分泌液を出すことはできなくなり、腺状細胞は衰退するであろう。
しかし血中に分泌物を出す島細胞には影響はないということになる。
ミンコフスキーは、自分でも知らないうちに、これを示していたのである。
というのはミンコフスキーが膵管を結紮した犬は膵臓が退行変性に陥ったのに糖尿病にならなかったからである。
生きているうちは島細胞は膵臓の酵素により悪影響をうけないが、死後は膵臓の主な腺状部が衰退していない限り、島細胞は酵素にさらされて速やかに消化されてしまうことになるであろう。
スコットはインシュリンが溶けない濃度のアルコールで膵臓を抽出してしまったので、その有効な成分を逸してしまったようである。
もう一つの実験で、彼は極めて示唆に富む成績を得ているのであるが、「これらの効果が抽出物中の膵臓内分泌物質によるということにはならない。」と書いている。
彼の研究は途絶え、かくして彼はインシュリンをほとんど発見しかけた人々の膨張しつつある列に伍すに到るのである。
特殊な膵臓物質の存在に対してというよりは、むしろそれを抽出する可能性に対して、希望よりも疑問を抱く者が多かった。
ほんの1年後にボストンの偉大な糖尿病専門家のF・M・アレンは膵臓のグリセリン抽出液を作り、これを正常動物の皮下に注射したところ尿糖が出現したと報じている。
「どの権威者も糖尿病の膵臓療法の失敗を肯定している。」とアレンは書いている。
1913年にはアメリカの二人の生理学者J・マーリンとB・クレーマーも「諸事実の示すところ、真の膵臓『ホルモン』の探究には落胆する他ない。」と述べている。
彼らが異議を唱えたのは、膵臓療法が実際に組織が糖を燃やす力を取り戻すことは示し得ないという点である。
糖尿病の状態にある動物の尿糖の量が減少することは膵臓のエキスが腎に作用して、糖が出るのを妨げる効果を持っているためであろう、と彼らは指摘した。
これは、理論的反対であって、誰もそれが誤っていると証明し得ない当時としては、正しい反対であった。
マーリンとクレーマーが応用しようと興味を抱いた検査方法は、呼吸商、すなわち、身体が食物を燃焼させている間に、一定時間内に肺から吸収された酸素の量と吐き出された炭酸ガスの量の比(炭酸ガス/酸素)を測定することであった。
適切な解釈の下に、この比は体内で進行しつつある代謝過程についての情報を与える。
食物が体内で燃えるとき、酸素を消費して炭酸ガスと水とに分解される。
このために肺から取り込まれる酸素の量は、既にどれだけの酸素が食物構成分の中に取り込まれているかによる。
仮に炭水化物が燃焼して、呼吸商が1.0であるならば、出された炭酸ガスの量と取り込まれた酸素の量は等しいということである。
脂肪の場合は呼吸商は0.7である。
というのは、脂肪性物質は炭水化物に比べれば、脂肪自身の中に含まれている酸素が少ないので、相対的に多くの酸素を吸気から要求するのである。(!!!)
糖尿病患者の呼吸商は混合食餌をとっているときは正常値0.8〜0.85に比べて0.7と減少している。
言い換えれば炭水化物の利用が糖尿病患者では減少していて、脂肪と蛋白の利用が亢進している。
膵臓エキスが、まごうべくもなく状態を軽快させるとすれば炭水化物の燃焼を高めて呼吸商を正常値に近く増大させるはずである。
マーリンとクレーマーは膵臓エキスを静脈内に注射して糖尿病者の尿糖を色んな程度に減少させた。
膵と十二指腸の混合エキスは、より大きな減少をもたらしたし、一例では尿糖が完全に消失した。
しかし何らの活性物質を含んでいそうもない同じ量のリンゲル液(血中の塩の力価と同じ力価の塩類の混合液)でも、ほぼ同じ効果があった。
それに、一例として呼吸商がかわって炭水化物の燃焼の増強を示したものはなかった。
こうしている間に、ロンドンでは二人の研究者が膵臓エキスが糖尿病動物の糖の利用に影響を与えることを、別の方法で示そうと試みていた。
彼らノールトンとスターリンは犬の心臓を遊離させて、その血管から特殊な栄養液を注入して生かしておき、これを使って実験していた。
彼らは糖尿病犬の心臓は正常犬の心臓より糖の消費が少ないが、栄養液に膵臓エキスを加えると糖の利用が高まることを示したと信じていた。
彼らの主張は認められず、スターリング自身も懐疑的になり始めた。
しかし1916年にボルティモアのジョーンズ・ホプキンス大学のG・クラークは同様の還流実験で、もし還流液をあらかじめ膵臓を通した後で心臓に流すと、心臓の糖利用が高まるという証拠を得た。
クラークの考えるところでは、彼の成績は還流された膵臓からのある物質が「・・・澱粉(糖)を正常に利用するためのある必須段階に関係している」ことを示唆するものであった。
(インスリンが発見されるまでに様々な研究が積み重なっています、そのために犠牲となった多くの命に畏敬と感謝、「インスリン以前」をあともう一回続けます)
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版