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副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉓一 インシュリン以前 4 失われた環をもとめて その3)

[2025.02.14]

インシュリンが見される一歩手前のお話の続きです。

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(1916年よりも)15年余りの諸実験はすべて失敗したり、せいぜい疑わしい成功を見たにすぎなかった。

科学者たちは、もしそれが存在するとしてもそれについて何ら知るところのない、ある物質を分離する研究に没頭していたのである。

彼らはその物質を保全したりあるいは破壊する諸条件について知るべくもなかった。

正しい方法の適用はただチャンスの問題あるいは不撓不屈の試行錯誤(トライアンドエラー)の問題のように思われた。

しかし発見に先立って、さらに二人の人の努力が記録されるべきである。

それはJ・クライナーとS・マルツァーで二人は1915年から1919年にかけて興味ある実験成績を得ているのである。

彼らは非常に稀薄な膵臓の懸濁液、すなわち、いろんな大きさの粒子を含んだ液を用いた。

それを部分的ないし完全膵剔犬の静脈内に注射する大部分の例で血糖は著明に、あるいは軽度に低下した。

クライナーは、濾過した抽出液が有効かどうか、また他の種類の動物からの製剤も有効かどうかを知ることが大切であると述べている。

呼吸商は高まって糖利用亢進を示すであろうか?

後にこの質問は肯定されるはずであった。

しかしクライナーは、彼の成績は実験的糖尿病の内分泌学説の根拠とみなされるべきものだと信じていた。

バンティングとベストが1921年7月にすでに研究をはじめて後に、ブカレストのニコラス・パウレスコは膵臓剔出犬の血液と尿の糖、ケトン物質、および尿素に対する膵臓抽出物の極めて興味ある効果を報じた。

これらの物質の量は抽出物によってはっきりと減少したのである。

しかし糖尿病の症状が軽減し、呼吸商が上昇し、動物の生命が延長したという証拠は何も示されなかった。

バンティングとベストよりも先に発見したと主張した人が一人あった。

1922年の12月にパリの生物学会の席上で、E・グレイは1905年2月に彼が預けておいたという封書を開封してそれに書いてある記録を読んで欲しいと要求した。

この文書の中には彼が変性膵から抽出物を作り、これが完全膵剔犬の尿糖をかなり減少させ、その他の糖尿病症状をすべて軽減させたことが述べられていた。

グレイは「他の研究のために変性膵の抽出物に関するこれらの研究は中断したままになったのである」と述べた。

しかし、1905年にこの声明を預ける前に、グレイはいろんな方法で作った膵臓抽出物が膵剔犬の尿糖を減少させなかったという成績を発表しているのである。

文献をひもといたことのある人には、1921年以前に何びとといえども膵臓内分泌が存在することを科学界に納得させたひとはないことが明らかである。

だれも膵臓の強力な抗糖尿病性抽出物を確実に作り出した人はなかった。

もしも誰かが作っていたならば、何千人もの命を救うために世界中の多数の研究所や製薬会社が製品化しようと企てないはずはなかった。

1920年の世界中の教科書はひとしく膵臓の内分泌がまだ確証されていないという結論を書いている。

1920年に自署の教科書の版を重ねた二人の偉大な生理学者、J・J・R・マクラウドとE・H・スターリングはそれぞれ次のごとく述べて、当時の事情を明らかにしている。

「ごく最近の研究によれば膵剔動物に膵臓と十二指腸の抽出液を注射すると、抽出液のアルカリ性のために尿糖の排出が一時的に減少するが、膵臓抽出物を注射したのでは呼吸商は変化しないことが示されている。輸血実験によっても満足すべき成績は得られていない。」

「膵臓が正常動物の糖の生産ないし利用にどういう影響を与えるかはまだわかっていない。一般に膵臓は、今日認められている糖尿病の本態についての考えからすれば、あるホルモンを血液中に分泌し、これが組織に達して糖を利用できるようにしたり、肝臓に達して糖の生成を抑制するのであろうと想定されている。この目的のためには膵臓のごく小部分があれば十分であるが、この臓器の抽出物を注射したり、経口投与したりしても、循環系と関係がある膵臓の作用を模造することはまだできていない。」

舞台は整った。

皮相的に見たかぎりでは的はまさに落ちようとしていた。

問題は一つの小さな組織に含まれているにすぎなかった。

最後の段階は短いに違いなかった。

しかし多くの人々が試み、失敗を重ねていた。

ヘンリー・デール卿はバンティングとベストが会う直前の状況を次のように話している。

「疑惑は30年余りの経過で深まり強められ始めていた。仮に人々の考えている内分泌腺が実際に内分泌を営んでいるとしても、その有効成分は腺内に僅かしか貯蔵されておらず、あるいは不安定な形のもので、有効な治療法として用いることはおろか、直接にこれを研究のために手に入れることさえできないのではないであろうか。」

1921年7月上旬にこれらの二人の若者が研究に向かって疾走するのをみて、科学界は単に疑問視するのが、精一杯であった。

参考書:インシュリン物語    G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 1978年第12刷版

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