副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉜一 インシュリン発見後の新しい治療 その1 )
インシュリンが発見されて、実際に患者さんに届くようになるまでのお話ですが、長文なので、流れをかいつまんで書きます。
「新療法」に関するニュースが発表されて、噂が拡がり、患者を救おうと熱望する医師達からの質問が集中した。
医学諸雑誌の社説は2人の実験を多少とも忠実に描写し、諸大家は、医師たちが「未だ期し難い過大な希望」を抱かないようにと、慎重な警告をした。
1923年にはアメリカ医学会誌上に、トロント大学のインシュリン委員会が、インシュリン使用に関する見解を表明し、インシュリンの大量生産がアメリカのエリー・リリー会社によって始められていると声明した。
1922年の晩秋から1923年の初めにかけて、インシュリンの使用に関する報告が医学誌上に出始めた。
初めはアメリカとイギリスに、そしてすぐにヨーロッパ大陸の医学誌上にも。
どのくらいのインシュリンを、いつ、どういうふうに。
インシュリンは食事制限を時代遅れにしてしまうのではないか。
糖尿病昏睡にも有効なのか。
インシュリン療法と外科や産科との関係もまた新しい可能性と新しい問題とを提供しているように思われた。
また、インシュリン療法に偶発しうる危険がありとすれば、これを明らかに防がねばならなかった。
・インシュリンは生体に不足している何かを供給するものであり、糖尿病を根治するものではない。
・食事療法の継続は必要。
これらの2つの基本問題とともに、インシュリンをどれだけ注射すべきか、食事と注射時間との関係はどうかという疑問も解決が待たれた。
1922年〜23年にかけては、初期の患者にはインシュリンのごく少量が注射されていた。
デンマークのハーゲルドンが報告した8人の患者のうちの誰一人として1日10単位以上を与えられたひとはいない。
また、もっと多量のインシュリンを与えた医師もいる。
ドイツで膵と糖尿病との関係を初めて発見したミンコフスキーは主な食事の前に2回ないし3回注射し、1日量として40から45単位を用いた。
糖尿病のコントロールはインシュリンを毎日注射すること以上の意味を持っている。
その量に食事量と体動に調和をとっていなければならない。
糖尿病でないひとは、インシュリンを作り出す膵臓機能が正常であるので、身体自身が必要に応じて、血液中に入るインシュリンを調節する。
糖尿病者ではインシュリンの需要は毎日の食事と体動との関連において考慮されねばならない、
インシュリンが注射されると、それは組織が糖を燃焼できるように作用する。
もし食事が不十分なときに注射されると、血糖は危険なほど低いレベルに落ちるかもしれない。
インシュリンの量が少なすぎても、糖尿病に対するコントロールは失われて、血糖は危険なレベルまで上がってしまう。
初期の臨床家たちは血糖が上がることの方が重大であると信じていた。
インシュリンは食事前、通常朝食前と昼食前に注射すべきであるという点では全く異論がなかったようである。
なぜならば血糖は食事をしない夜間に極めて低いレベルに落下してしまう可能性があるからであった。
ウイリアム・ウイルコックス卿はランセット誌に「採択されるべき治療計画は糖尿の有無と、血糖曲線によって異なる。臨床的観察が第一に重要である。価各症例に応じて最も的した形で治療すべきである。」と書いた。
フォン・ノールデンとイサアクもまた「個別療法」の重要性を強調した。
とりわけ絶望とされていた糖尿病性昏睡から救われた患者の治療成績が1923年5月にイギリスのH・W・デイヴィス等により報告された。
糖尿病昏睡にある患者に単にその糖尿病状態のためだけでなく、心臓と血管に影響を及ぼす体液と塩分の平衡異常、つまり高度の脱水と、特にナトリウムの喪失のためにも治療を必要とすることが間もなく発見され、次いで数多くの昏睡患者の回復が報告された。
インシュリンがめざましい発展をなしたもうひとつの特殊な分野は糖尿病児の治療であった。
1930年代にはインシュリン製剤の向上とともに糖尿病児が正常児と全く同じように成長できるような療法が生み出された。
糖尿病者にたいする外科手術もインシュリン導入後1年以内には多数の手術成功例が報じられるようになった。
イギリス連邦のH・マクリーン、アメリカのE・P・ジョスリン、ドイツのC・フォン・ノールデンがインシュリンの臨床試用のすべてを伝えた。
しかし初期にはインシュリンの供給が乏しかったことと、インシュリンを皮下に注射せねばならなかったことが困難であった。
そこでいろいろな工夫が考案されていったことは次回に書きます。
参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行
