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副院長ブログ(「インシュリン物語」を読む㉝一 インシュリン発見後の新しい治療 その2 )

[2026.01.14]

「インシュリン物語」を読んでいます。

発見後の初期にはインシュリンの供給が乏しかったことと、インシュリンを重症の糖尿病者には1日に数回皮下に注射せねばならなかったことが困難だった、ということもあり、いろいろな工夫が考案されていった様子をみていきます。

アメリカ医学会誌のある一冊の中には舌下、口腔、直腸、さらには気管内投与、イギリスでは皮内接種法での投与を試みられたが、インシュリンは全然効果がないか、実用には弱すぎる効果しかないことがわかった。

患者や医師は注射器と針に慣れるよりほかなかった。

新しい有効な薬は、過量を与えたための濫用の危険を伴うのが常だが、この危険はすぐにインシュリンについても認識された。

初期のインシュリン反応(過度の低血糖のために起こる症状)はインシュリンの過量投与によって起こるよりも、むしろ食事制限があまりに厳しすぎたために起こる方が多かった。

長い習慣から飢餓食はまだ多くの医師の心の中に漠として残り、インシュリン注射をしている患者にカロリー(特に澱粉)に富んだ食事を処方することをためらう医師が多かった。

患者のなかには思慮深くても低血糖反応を起こしやすい人があり、1923年にはこういう患者を守るために、ランセット誌に「インシュリンを15−20単位注射して仕事に出かける者は角砂糖を4−6個ポケットに入れておいて、緊急の場合にはすぐに食べられるようにしておくとよい。また、自分は糖尿病者でインシュリンを使用中であり、ポケットに砂糖があることを書いたカードをポケットに入れるか、首にかけるかしておくとよい。」という忠告が述べられている。

こうした全身反応とは別に、注射局所の腫脹や疼痛もかなり苦痛を招いたが、インシュリン製剤の純化と共に、これらのほとんどは消退した。

ひとたびインシュリンの臨床的使用が十分確立され、その効果と、それに伴う危険が認識されると、その普及には熟練した医師団の力を必要とした。

遠方からジョスリンに使用方法を訪ねに来た医師もあり、やがて1−2週間の定期的講義がアメリカの各大学などで開設され、医師たちにインシュリンの正しい使用について教えることになった。

インシュリンの臨床使用は速やかに世界中に広まった。

最初の患者がトロントで治療されて以来の最初の大規模な試用がジョスリン等により1922年8月にボストンで実施された。

やがて新療法はイギリスに導入され、一部は輸入インシュリンが、一部は諸病院の「自家製」インシュリンが用いられた。

1923年初頭にはデンマークでも非営利的に製造が開始された。

ヨーロッパ大陸での治療成功第一例はデンマークであった。

ドイツがこれに続き、インシュリン委員会がO・ミンコフスキーの議長の下に組織され、臨床的使用は1922年に始められた。

フランス、ハンガリー、チェコ、オーストラリア、アルゼンチン、、、とインシュリンの使用が世界中に拡まった信じられない程の速さは、糖尿病の治療におけるその必要欠くべからざる役割を最も早く、最も良く確認したものである。

その反面、でっちあげの主張をする者や、理由もなく発見を認めようとしない者もいた。

世界のいくつかの地域で、こうした関心と創意が示されつつあった間も、発見の場所トロントでインシュリンの製造と管理に関係していた人々は、目覚ましい発展と大規模な運営に伴いがちな苦痛を感じつつあった。

生産方法による新しい器材が必要であったし、それを入れる場所もない有様だった。

新しい抽出工場は、医学部本館とカレッジ街に挟まれた、もとのトロント大学YMCAに建てられた。

カナダ全体のためのインシュリン製造はこの建物が1927年にとり払われて新しい衛生学教室が建てられ、その一部に現在(1960年代当時)カナダが必要とするインシュリンを一手に製造する抽出精製工場が作られるまで、この抽出工場で行われた。

初期のインシュリン製剤は注射部位の皮下に硬結や無菌的膿瘍が形成されることがあり、インシュリンと一緒に存在する混在物質がこの局所反応の原因であろうと思われた。

溶液中のインシュリンを他の蛋白から分離する方法は蛋白分子の面白い特性を利用して達成された。

水溶液中の各種の蛋白分子は溶液が酸性やアルカリ性になって、(水素イオン濃度による)ある固有pHになると不溶液となる。

つまり、ある固有のレベルにおいてインシュリン分子は不溶性になり他の蛋白分子がほとんど溶液になっているのに析出してくる。

この方法でインシュリンは他のほとんどの蛋白から分離され、あとでインシュリンを溶かすような酸性の液を用いて再溶解させることができた。

インシュリンの発見、その精製、検定、および意思が糖尿病者を治療できるだけの十分な量の抽出は大きな貢献であった。

インシュリンの恩恵が人々に達するまでにはさらに多くが必要であった。

(次回に続きます)

参考書:インシュリン物語 G.レンシャル・G.ヘテニー・W.フィーズビー著 二宮陸雄訳 岩波書店 1965年発行 

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